龍桂林物語

小金城は鎌倉室町中世の県下最大の平城で、 千葉氏の重臣高城氏の城として規模は東西700メートルに及び本土寺や東漸寺等の名刹を配置し統治していました。

その本城と中城に本店は位置しております。 当時は黄金桂花(キンモクセイ)が咲き誇る大規模な茶会が頻繁に開催され、その美しさから開花城とも称されたそうです。文人歌人で賑わって居たことが天目茶碗の発掘からも伺えるのです。

 

龍桂林の命名は、私の盟友の中国桂林出身のシュさんが桂花の原産地で山水画の山を龍の如く蒸気が登り雲になる所から二人で名付けたものです。驚くことに小金城の正室が桂林尼であったことや、鰭ヶ崎は龍の鰭が落ちた場所とされ、近隣の寺は全て金龍山と称していた事も後日知らされたのです。

さらに、城主高城氏の出身は、佐賀長崎の辺りで、最後は帰郷し亡くなったという説もあるのです。その佐賀の小城市には佐賀平野を見下ろす巨大な千葉城跡があり、その村で唯一の武士であったのが母方の実家だったのです。

 


 

現在、縁あって松戸徳川家戸定邸の第三代当主の徳川文武公と親しくさせて頂いておりますが、大久保姓は、徳川に仕えた大久保彦左衛門の兄となる大久保加賀上忠朝とされ、唐津藩主、佐倉藩主、徳川の老中であったことを示す書状が現残しています。

重ね重ね不思議な御縁で様々に繋がれた人々が、時を越え薬膳 と日本文化を通して、多くの皆様の幸せを再興するためにこの地に呼び集められたと感じるのです。

 

生態系のバランスを崩し現在は害獣とされる獣達を産み出したのは人間です。今一度、食に、命に感謝して薬膳料理やミネラル豊富なジビエ料理の宝材を食し、薬害や無駄をなくし命に感謝する社会を築いて参りたいと願います。

松戸で一番天空に近く安全な地だからこそ、災害時には全てを解放致します。それが年齢合わせて185歳で本店を開設した父母の思いでした。

 

皆様の健康長寿を心より願い能書きと致します。 深謝

東大久保家第二代当主 大久保俊輝